津田梅子さんは、2024年の新紙幣(新5千円札)に肖像画が使用されます。
結婚した夫(旦那)や子供はいるのかや、家族構成などが気になる人はたくさんいるでしょう。
女性の教育を推進し、女性の社会参加のきっかけを作った人物で、津田塾大学を創設したことでも知られていますね^^
幼少期からアメリカで生活し、日本とアメリカの両方の世界を知り柔軟な思考を持っていた女性で、優しい雰囲気が魅力的な方ですね。
今回は、津田梅子さんに結婚した夫(旦那)や子供はいるのかや、家族構成や出身高校・大学などについて見ていきましょう。
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目次
津田梅子に結婚した夫(旦那)はいる?
#スペシャルドラマ#津田梅子#お札になった留学生
3月5日(土)よる9時放送✨豪華キャスト集結です😊
ぜひご覧下さい🎵#テレビ朝日 pic.twitter.com/dKBjtIfdHf— SPドラマ 津田梅子 お札になった留学生【テレ朝公式】 (@umeko2022) February 28, 2022
津田梅子さんに、結婚した夫(旦那)はいるのか紹介します。
64歳で、天国へ旅立たれるまで生涯独身でした。
若い頃から縁談の話がなかったわけではありません。
津田梅子さんは16歳くらいの年齢でアメリカから帰国し、出身高校の華族女学校でその英語力を生かして英語教師として教えていたのですが、その頃には縁談の話があったのだとか。
華族女学校で教師をしますが、上流階級的な気風になじめなかったと言われています。
また、大学へは通わずに18歳ころまでに結婚するのが一般的だった時代でそれ以降は行き遅れと言われるような日本の結婚観も合わなかったようです。
やがて「二度と結婚の話はしないでください。話を聞くだけでもうんざりです」と手紙にしたためるほどだったそうですから、相当嫌気がさしていたんでしょうね><
日本の古い結婚観に辟易したとして生涯独身を誓ったことが有名です。
結婚はせず、仕事柄親しい男性もあったかもしれませんが特に浮いた話もありません。
なので、夫(旦那)はいません。
塾の経営や公演など忙しくしていたようですので、男性と親しくするような時間がなかったのでしょう。
出身高校・大学時代に、学生同士で恋愛を楽しんでいたかもしれませんが、あまり男性には慣れていない感じです。
唯一噂されているのが伊藤博文さんです。
岩倉使節団に同行したころからの縁で、帰国した津田梅子さんがのちに伊藤博文の通訳として住み込みで仕事をしていました。
伊藤博文も仕事の斡旋など津田梅子に対してサポートをしているのだそうですから、親しい仲だったのでしょうね。
津田梅子に子供はいる?
津田梅子さんに、子供はいるのか紹介します。
結婚せず生涯独身だったので直系の子孫はいません。
晩年に甥にあたる津田眞を養子に迎えており、この津田眞の子孫が当主を継いでいます。
津田眞の娘あい子が結婚したのは、西郷隆盛のひ孫にあたる人物と結婚しているので、津田家と西郷家は親戚同士なんだとか。
津田家の家督を継いだのは、このあい子さんの子供の津田直さんです。
直さんは津田梅子のひ孫で西郷隆盛の玄孫というとんでもない人物です。
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津田梅子の結婚観について
津田梅子さんの結婚観を紹介します。
生涯独身を貫いていて、当時の日本人女性としてはかなり進んだものだったのではないでしょうか。
女性は礼儀作法など男性を立てるための教養が中心で、知識を増やすような教育のなかった時代です。
結婚したら家のことを担うことが当たり前で、夫(旦那)に頼らず自身でお金を稼ぐような生き方を選択することのない女性が多かったでしょう。
それに比べてアメリカなど海外では、女性も男性と同じように知識をつけ、研究し、能力を仕事に生かしていたのではないかと思います。
やりたいことがある女性にとっては海外の女性の生き方に憧れますよね(*^^*)
そんな理想の生活を直接目の当たりにしている津田梅子さんにとって、結婚は今でいう「墓場」だったのでしょう。
せっかく留学して語学も堪能で柔軟な考えも持っているのに、奥さんになったらその能力を活かす機会は限られてくるでしょう。
華やかな華族生活にも魅力を感じられなかったようですし、結婚しないと考えるのもよくわかります。
生涯独身を貫くというのは時代的にかなり珍しかったと思いますが、そんな津田梅子さんお生き方に憧れる女性もたくさんいたでしょう。
津田梅子の家族構成について
津田梅子さんの家族構成を紹介します。
もともと生家の津田家は織田信長と同族の織田氏流だったのだとか。
父親の仙も元は幕臣だったと言われています。
青山学院を創設するなど「キリスト教界の三傑」と言われる人物です。
叔母にあたる竹子は徳川宗家16代当主・家達の生母です。
津田梅子の家系がお金も地位もある家柄だったことがわかります。
梅子さんは父・仙と母・初子の次女として生まれています。
アメリカ留学中は、日本弁務館書記で画家であるチャールズ・ランマン夫婦のもとで約10年の留学生活を送ります。
この夫妻も第二の家族ですね。
【津田梅子の家族構成】
- 津田梅子
- 津田眞(養子縁組・甥)
- 津田あい子(孫)
- 西郷隆晄
- 西郷隆直(ひ孫・祖父の眞と養子縁組し津田直に改名)
生涯独身だった津田梅子さん。
養子縁組で甥を迎えますが、自身の直系の子供はいません。
津田梅子の出身高校を調査
津田梅子さんの、出身高校を調査しました。
今と学校制度の形が違うことと、海外留学をしていたこともあって現在の日本の学校と同じ形ではありません。
6歳でアメリカに渡り、ジョージタウンでアメリカ人夫婦の下で育った梅子さん。
市内のコレジエイト・インスティテュートを卒業し、私立の女子校であるアーチャー・インスティテュートへ進学しています。
インスティテュートは、英語の意味としては「専門学校」「大学」となります。
ですが当時の学習内容を見てみると、高度な内容ではありますが専門性が高いわけではなく、年齢的にも中学校や高校と言った意味合いになるでしょう。
帰国後は進学せず華族女学校で教師として働いていますので、津田梅子さんは日本での学歴はありません。
津田梅子の出身大学を調査
津田梅子さんの、出身大学を調査しました。
華族女学校での教師生活のさなかに留学時代の友人が来日したことで再度留学を決意した津田梅子さんは、明治22年(1889年)に25歳で渡米します。
アメリカでの留学先に選んだのは、リベラルアーツカレッジ・セブンシスターズの一つであるブリンマー大学でした。
生物学を専攻したそうで、3年過程を切り上げて終了させたのだとか。
津田梅子さんは、留学2年目にはカエルの発生に関する論文を発表します。
教授法の研究はオズウィゴー師範学校で行っていたのだとか。
大学は無事に修了し、その後留学を延長し日本人女性留学のための奨学金設立などに奔走してから帰国しました。
【津田梅子の関連記事】
津田梅子のまとめ
津田梅子さんに結婚した、夫(旦那)や子供はいません。
女性の教育機会の獲得のために奔走し、体を壊しながらも大学を設立し女性の教育や社会性の向上に努めました。
古い日本の考え方に迎合せずに生涯独身を貫くなど、留学で培った価値観と学歴を武器に当時の日本を渡り歩いていった先駆者ですね。
切り開いた女性教育の機会はその後十分に開花し、社会を変えていく女性たちを輩出し今の日本を作っていきました。
時代を変えるきっかけになった偉大な人物として新紙幣に選ばれるのも納得ですね。
津田梅子に結婚した夫(旦那)や子供はいる?家族構成や出身高校・大学を調査
についてまとめてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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