NHKの朝ドラで好評だった「マッサン」
国産ウイスキー製造を実現した亀山正春という人物のドラマになっているマッサンですが、そのモデルとなったのが竹鶴政孝です。
竹鶴政孝は北海道で国産ウイスキーの製造をはじめ、ニッカウヰスキーを創業した人物。
明治から大正にかけて青春を過ごし、海外留学や国際結婚など当時は珍しかった様々な経験をしているなど、かなり波乱万丈な人生を生きたようです。
現在もニッカウヰスキーは子孫が経営しているなど、竹鶴政孝の家系は今でも脈々と続いています。
今回は、竹鶴政孝さんの嫁(妻)や子供情報や、家系図から子孫・家族構成などを調査について見ていきましょう。
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目次
竹鶴政孝の嫁(妻)のリサとの馴れ初めは?
竹鶴政孝さんの嫁(妻)のリサとの馴れ初めを紹介します。
竹鶴政孝の奥さんはスコットランド人です。
名前はジェシー・ロバータ・カウンさんと言い、通称はリタ。
竹鶴政孝の2歳年下のリタとの出会いはスコットランドです。
洋酒製造会社に勤務していた竹鶴政孝が、国産ウイスキー製造のために海外留学を打診され、向かった先で出会った女性です。
スコットランドでは、グラスゴー大学に通いながらウイスキーの蒸留所の見学や実習をしていた竹鶴政孝。
子供の頃に柔道を習っていたことが縁で、大学で知り合ったイザベラ・リリアン・カウン(通称エラ)に弟の柔道指導を頼まれた際にリタと出会ったそうです。
プロポーズしたのは政孝から。
留学している身でありながら「君が望むならここにとどまる覚悟でいる」とまで話したそうです。
そんな政孝のプロポーズを受けて、「あなたには大望があるはず」と話し「私たちは日本に行くべきです」と故郷を離れることをいとわなかったというリタ。
国際結婚はリタの実家にも政孝の実家にも反対されたそうで、結婚式もなく書類にサインをしただけの式だったそうですが、そんなことも気にしない強い女性なんだそうです。
これは奥
さんを大切にするしかないですね。
竹鶴政孝に子供はいる?
竹鶴政孝さんに、子供はいるのか紹介します。
ウイスキー製造で成功し、多くの功績を残した竹鶴政孝。
生家は日本酒製造の酒蔵で地主、自身も大学まで出て酒造りを学んで酒造りの会社に就職するというエキスパートでイケメンというモテる要素しか見出せない竹鶴政孝。
奥さんも美人で言うことなしと思いますが、2人は子供には恵まれなかったんだそうです。
ドラマ「マッサン」でも流産しているエピソードがあるので、史実でも同様のことがあったのかもしれません。
子供はいずれも養子で、山口房子という女性と宮野威という男性の2人がいます。
房子はのちに改名してリマと名乗りますが、竹鶴政孝の生涯について書かれた本にもほとんど出てきません。
どうやら母であるリタとの関係が悪かったそうで、どんどん疎遠になっていったんだそうです。
国際結婚も珍しく、戦争の際は異国民である母親のリタはどうしても目立つ存在です。
学校で何かあったのかもしれませんが、血のつながっていないリタのことを受け入れられないという気持ちも分かる気がします。
一方で威は、リタからの愛情もたくさん受け政孝の後を継ぐ存在になります。
威はもともと叔父と甥の関係でしたが、養子縁組を経て父親になりました。
高校から醸造について学ぶなど後継ぎとして成長していた威は、ニッカウヰスキーの2代目ブレンダーとなります。
養子になることにもこだわりはなく、スコットランド人の母を持つことにも抵抗はなかったそうです。
科学者を目ざしていた威が養子になったのは19歳の時でした。
2014年に90歳で亡くなるまで、養父の教えを引き継ぎニッカウヰスキーのブランドを守り続けた人物です。
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竹鶴政孝の結婚観について
竹鶴政孝さんの、結婚観を紹介します。
結婚に至るまでの詳細は不明ですが、弟に柔道を教える政孝に興味を持ったのはリタではないかと思います。
竹鶴政孝は写真で見るとなかなかに整った顔のイケメンですし、まじめで頭もいい青年です。
きっと日本人らしい真面目な性格に惹かれたのではないかと思います。
竹鶴政孝自身の結婚についての話はありませんでしたが、政孝は生家が酒造業を営んでおり両親は政孝に家を継がせたいと思っていたそうです。
ですのできっと家業に理解を示して手伝ってくれる女性との結婚を考えていたのではないかと思います。
しかし、政孝は日本酒ではなく洋酒に興味を示し洋酒製造会社に就職するなど興味を示したことにまっすぐ突き進む性格ですので、おそらくリタとは一目惚れだったのではないかと思います。
やはり自分の仕事については理解が欲しいとは考えていたと思いますが、日本に帰らない選択肢も考えるほどだったことを考えると、きちんと相手のことも気遣う優しさがあります。
リタはそんな政孝の優しさも知ったうえで政孝の仕事を応援したいと思ったのではないかと思います。
竹鶴政孝の子孫を調査!
竹鶴政孝さんの子孫を調査しました。
山口房子ことリマの子孫については詳細が全くなく、不明です。
一方で威は結婚し子供を授かっています。
竹鶴政孝とリタにとっては孫となるその子供は、政孝の名前から一文字とって孝太郎と名付けられたそうです。
孝太郎もニッカウヰスキーに就職しており、アサヒビールなど多くの企業でも活躍しています。
その後の子孫については分かりませんが、竹鶴家の本家も今でも日本酒製造を続けており、竹鶴の名は日本酒でもウイスキーでも受け継がれています。
竹鶴政孝の家系図について
竹鶴政孝さんの、家系図を調査しました。
竹鶴政孝の出身は広島です。
地元の地主の家系で、本家では酒造り、分家では塩造りを生業にしていたそうです。
政孝の父は分家の出身ですが、本家の酒造りを手伝っていたそうですので政孝も酒造りのほうが馴染みがあったようです。
今でも生家では日本酒製造を続けていますので「竹鶴酒造」で調べてみてください。
政孝の兄妹は4男5女で、政孝を含め9人兄妹という大所帯です。
政孝は7番目で3男。
兄たちはいずれも実家を継がず、別の仕事に就いたそうです。
竹鶴家は
父;敬次郎(婿養子)
母;チョウ
長男;甲一
長女;とし
2女;えい
3女;延代
4女;あやこ
2男;可文
3男;政孝
5女;さわの
4男;弥蔵
という11人家族。
年の差は不明ですが、7番目ともなると長男とはかなり年が離れていると思います。
実際に11人そろって生活していたというよりは、年の近い子供たちと成人近い年上の兄弟たちという別れ方をしていたのではないかと思います。
家族写真でも、2男以降は子供だと分かりますが3女あたりになるともう雰囲気が大人ですので、成人していたかもしれません。
後に養子となる威は3女延代の息子だと言われています。
きちんと家系図が残されてるあたりは、さすが地主の家系といったところでしょうか。
竹鶴政孝の家族構成について
竹鶴政孝の、家族構成について紹介します。
大所帯の生家で育ち、高校からは寮で生活、就職後は留学するなど様々なところで生活してきた竹鶴政孝。
スコットランドでリタと結婚したのちに日本に帰国。
当時務めていた会社の近くに新居を構えて生活していたそうです。
その後は酒造りから離れたり、別の会社でウイスキー製造に携わったりと忙しくしていましたが、最終的に独立し北海道の余市町で生活するようになります。
北海道では工場内に建てた家に住んでいたそうですが、やがて隣町に新居を構え、養子の子供たちと共に暮らしたそうです。
【竹鶴政孝の家族構成】
父;竹鶴政孝
母;竹鶴リタ(旧姓:ジェシー・ロバータ・カウン)
養女;房子
養男;威
房子についての情報が本当に全くなく、何歳で養子に来たのかなどが不明なので威と一緒に住んでいた時期があるのかがわかりませんでしたが、最大で4人家族だったようです。
声が大きくよく笑う人物だったと言われる竹鶴政孝ですので、家庭内でも明るい雰囲気だったのではないかと思います。
威に対しての教育は手取り足取りというよりは「見て学べ」という職人気質だったそうですから、仕事中は厳しくしていたのかもしれませんね。
竹鶴政孝のまとめ
日本のウヰスキーの父と言われる竹鶴政孝。
日本人に本物のスコッチウイスキーを知ってもらいたいという情熱で、ウイスキー一筋に生きた生涯だったそうです。
妻であり最大の理解者であるリタのことは大切にしていたようで、リタが亡くなった時には親戚も初めて見るほどの取り乱しぶりだったんだとか。
「おばあちゃんが死んじゃった」と家中で泣きわめいていたという逸話が残されています。
政孝はリタ亡きあと約18年に渡りウイスキーに生涯をささげ、85歳で亡くなったそうです。
ドラマ「マッサン」と史実ではやや異なる部分はあるそうですが、十分ドラマになるような人生であることが分かりました。
竹鶴政孝の嫁(妻)や子供情報!家系図から子孫を調査!家族構成について
についてまとめてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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