土門周平の若い頃の顔画像(写真)!学歴(出身高校・大学)が凄い?

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出典元:ガーリードロップ

 

不安定な社会情勢が続き、ウクライナの戦争など先の読めない世の中ですよね。
テレビの向こうの他人事かと思いきや、物価上昇など私たちの生活にも影を落とし始めていたりと他人事ではなくなっていたり…

 

お気楽な思考回路の私には、なんで戦争なんて起きるのか、戦っている国の人は何を思っているのかなど分からないことだらけ。
戦争も教科書でしか知らない身からしたら、やはりどこか他人事感が抜けません。

 

そんな戦争に関するあれこれをきちんと理解しようと思ったら読みたいのが、軍事史研究家の土門周平の本です。
戦争に関する様々な研究から、指導者の思考なども考察している土門周平の本は、難しいながらも人気が高いです。

戦争に関する研究をという変わった職業を生業とした土門周平とは、どのような人だったのでしょうか。

 

今回は、土門周平さんの若い頃の顔画像(写真)や、学歴(出身高校・大学)情報などについて見ていきましょう。


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目次

土門周平の若い頃の顔画像(写真)!

土門周平さんの、若い頃の顔画像(写真)を紹介します。

そもそも軍事史研究家というお堅い職業はどのようなものなのでしょう。
調べてみると、ただ戦争の歴史を研究するのではなく、一つの作戦に関してその背景や関わった人物のあらゆる情報を調べて分析することが仕事のようです。
作戦が上手くいった要因や、失敗した原因などを解明するなどかなり詳細に調べつくすようですね…

 

なんかあまり楽しそうに聞こえないかもしれませんが、これを仕事としてできた土門周平はだいぶ根気と集中力があるタイプだと思います。
若いころの情報が全然ないので想像ですが、気になることは結構徹底して追求していくタイプなのではないでしょうか。
色々なもののしくみとかに詳しい、頭のいい子って感じではないでしょうか。

 

そして、自身も参加した戦争について客観的に研究することができるというのはかなり冷静なタイプですよね。
事実を追求するにあたり、私情や主観は入れてはいけないと思うので客観的に考える頭が必要です。

冷酷というのとは違い、落ち着いた人物だったのかなと思います。

土門周平の若い頃の顔画像(写真)は可愛いとイケメンどっち?

土門周平さんの若い頃の顔画像(写真)は、可愛いとイケメンどっちなのか紹介します。

幼少期や青年頃の写真はありませんでした。
産まれてすぐに戦争が始まったくらいの世代なので、まだ写真自体貴重だし戦火を潜り抜ける間に写真を亡くしてしまうこともあったと思います。
絵を残すにしても写真を撮るにしてもお金もかかることだと思うので、写真がないのが一般的だったのかなと思います。

 

唯一あった写真はおそらく中年頃。
後ろに流した黒髪に黒縁眼鏡、鼻のほくろと垂れ目が印象的な優しそうな雰囲気の男性です。

キリッとした顔というよりは優しい面差しなので、若いころはどちらかというとかわいいタイプだったのではないかと思います。
陸軍中隊長として戦争に参加していたそうですので、もっと鬼教官みたいな人が出てくると思っていた私はちょっとイメージが悪すぎたようです。
もしかすると、必死に戦う顔は怖い顔だったかもしれませんが…

 

ものすごくインテリと言う感じもなく、普通に知的な男性です。
優しい雰囲気もあって校長先生みたいな人だなーと思ったら、実際に自衛隊や防衛研究所では講義もしていたそうです。
話し方もきっと落ち着いていい声なのではないかと思います。


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土門周平の学歴(出身高校)を調査

土門周平さんの学歴で出身高校を調査しました。

戦前は今と学校制度自体が違うので難しいのですが、土門周平は東京府立第四中学校という学校の出身です。
この中学校が、今でいうところの高校。

 

元々は私立の共立中学区という学校だったのが、公立に代わり府立(当時は東京府)第四中学校になったそうで、現在の都立戸山高校にあたります。
創立135年という歴史ある高校になっています。

 

今は偏差値72という超難関公立校ですが、土門周平の学生時代はそこまで偏差値どうこうという時代ではないので、きちんと尋常小学校を出ていれば入学できたのではないかと思います。
それでも志願者が多く試験をしていたようなので、ちゃんと合格できる優秀な人物だったことが分かりますね。

土門周平の学歴(出身大学)を調査

土門周平さんの学歴で出身大学を調査しました。

戦争中という時代もあると思いますが、土門周平は大学に入っていません。
代わりに通ったのが、陸軍士官学校。

 

制度変更が多くややこしいのですが、大まかにいうと生涯軍人を務める将校を育成する学校です。
警察の警部や警視を養成する警察学校みたいなイメージでいいと思います。
どちらかというと大学というより専門学校。

 

入るためには陸軍学校の附属の幼年学校を出ているか入学試験への合格が必要で、中学校卒業レベルの学力があれば入れるのだそう。
卒業できるとすぐに高等官という高給職に就けることもあって人気だったんだそうです。
各学校の秀才が集められたとも言われているので、そこに入っていた土門周平はやはり秀才だったようです。

 

しかも、普通の高校や大学と違い、身体能力や健康面も重視していた陸軍士官学校は頭がいいだけで入れず、普通に学校に進学するより難易度は高いとのこと。
文武両道でしっかりした人じゃないとダメなんですね。
実際に土門周平は中隊長まで昇格しているので、実践でもきちんと成果を残せる実力を持っていたのでしょう。

土門周平は学歴のおかげで軍事史研究家になれた?

土門周平さんは、学歴のおかげで軍事史研究家になれたのか紹介します。

戦後、防衛研究所という大戦の研究をする部署に長くいたことで軍事史研究家になった土門周平。
元々は終戦直後、軍人としての仕事がない期間は農業をしたり警察予備隊に所属したこともあったそうです。

 

それでも陸上自衛隊で教官を務めるなど、その後に陸軍関係部署に戻っていることを考えるとやはり職業軍人として士官学校を卒業していることはある意味ステータスだろうと思います。

 

士官学校を出ていること、実戦経験があること、中隊長として兵士を指揮する立場にあったことなど多くの要因が防衛研究所での戦史編纂に役に立ったのではないでしょうか。
上のことも下のことも分かる立場で、研究や分析ができる頭脳を持っていたことで務められた仕事だろうと思います。

決して楽しい仕事ではなかったと思いますが、任命された仕事をきっちりやり遂げるところはやはり軍隊上がりの精神力のなせるわざではないでしょうか。

土門周平は学歴のおかげで作家になれた?

土門周平さんのは、学歴のおかげで作家になれたのか紹介します。

執筆活動は仕事の合間に行っていたという土門周平。
戦史編纂をする中で知った様々な事実を、物語として読みやすく書いていたのかもしれません。
実際、土門周平の書く将校の姿や作戦の真相といった裏の顔はかなり事細かに描かれており、事実に基づいて書かれたので合おうと分かる内容です。

 

戦史の編纂と執筆ではやや勝手が違うと思いますが、文章を書くという点で似ているところはあると思うので、そう考えると文章を書く仕事は向いていたのでしょうね。
戦史編纂の仕事を退官した後も、自衛隊での講義など人に話したり教えたりという立場は続いていたようです。
やはり教えること、話すこと、まとめることなど国語的な能力が秀でていたんでしょうね。

 

土門周平のまとめ

軍事史研究家という珍しい職業でありながらも、ほとんど知られることのないその職業柄亡くなった時もニュースになるようなこともなく、ひっそりと息を引き取ったと思われる土門周平は97歳まで生きたそうです。
軍事史研究の道では有名人で、戦争の真実を描いた小説はファン中ではいずれも評価が高い「知る人ぞ知る」感じの人物です。

 

土門周平の研究成果が今の平和な日本を影で支えているのかもしれません。
戦争の歴史を繰り返さないために、大変重要な軍事史の研究。
土門周平の著書「第三次世界大戦」では核戦争に発展すると危惧されており、最近では本当にそんな事態になるのではとひやひやすることもありますよね…

どうか小説のようなことが起きませんようにと祈るばかりです。

 

土門周平の若い頃の顔画像(写真)!学歴(出身高校・大学)が凄い?

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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