近藤富枝のwikiプロフや経歴!死因について!生い立ち~最後が凄い?

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近藤富枝さんが、1981年に放送されていたNHKの朝ドラ「本日も晴天なり」のモデルとして注目されていますね(*^^*)

 

wikiプロフや経歴情報や、死因などが知りたい人は多いでしょう。

 

元NHKアナウンサーでルポライター、小説家と様々な顔を持ち戦時中を生き抜き活躍した女性としても有名です。

 

今でこそ仕事に生きがいを感じてバリバリ働くキャリアウーマンが一般的ですが、終戦直後の厳しい時代にその先駆け的存在だった女性です。

 

2016年に、帰らぬ人になるまで、多くの人物と交流したくさんの功績を残したその生涯を追ってみたいと思います。

 

今回は、近藤富枝さんのwikiプロフ・経歴情報や、死因と生い立ち~最後などについて、見ていきましょう。


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近藤富枝のwikiプロフ!

近藤富枝さんのwikiプロフを紹介します。

誕生日は、1922年8月19日で大正11年でした。

 

ちょうど第一次大戦が終了したころの生まれなのですね(*^^*)

近代化が進む一方で、金融恐慌が起きたり関東大震災が起きるなど様々なことがあった大正時代。

東京出身の近藤富枝は関東大震災も経験をされているでしょう。

 

近藤富枝のwikiプロフィール

  • 名前:近藤富枝( こんどう とみえ )
  • 本名:近藤富枝(旧姓:水島冨枝)
  • 生年月日:1922年8月19日
  • 年齢:93歳で没
  • 身長:150cm後半台(推定)
  • 体重:40kg後半台(推定)

 

  • 国籍:日本
  • 星座:しし座
  • 血液型:不明
  • 趣味・特技:本の執筆

 

 

近藤富枝さんのwikiプロフ情報で、年齢がだいぶ高齢まで長生きしていたことがわかりました。

 

大正時代は、ジャズが人気になったり宝塚の母体となる団体が出来たりしました。

路面電車やバスが普及したりビルが立ち並び始めたり、箱根駅伝、ラジオ放送が始まったり自動車が活用されたりと様々なものが始まった時代です。

 

食文化でもカレーやコロッケが人気になるなど色々な変化があったと言われています。

 

今でいうZ世代のような、時代の節目に生まれ育ち、新しい文化に柔軟に対応していける世代がちょうど近藤富枝さんの生い立ちから生涯に関係している時代だったのでしょう。

近藤富枝の経歴!

近藤富枝さんの経歴を紹介します。

週刊朝日で選ばれたのは「私の八月十五日」という作品でした。

 

終戦の事を記したものでしょう。

ルポと言うことはそこまで長い文章ではないと思いますが、その分印象に残るのは大変そうですのでやはりいい作品だったのでしょうね(*^^*)

 

各紙に入選を果たして以降、1970年頃から著書も多く「本郷菊富士ホテル」という作品は日本文芸大賞も受賞しています。

 

また、日本の暮らしや着物に関する著書、女性の自立に関する書籍もあり、幅広いジャンルで執筆していたことが分かります。

 

近藤富枝さんが特に力を入れていたと思われるのが、出身である田端周辺の「文士村」に関する研究です^^

 

文士村は関東大震災以降に多くの芸術家や文学者が暮らした村のことで、室生犀星や山本有三など多くの文士がいたことで有名です。

 

近藤富枝さんは、この文士村に関する研究書も執筆しており、文士村の研究者としても有名だったのだとか。

 

ミステリー作品も執筆しており、他に和紙工芸の一つである「王朝継ぎ紙」の研究もしていた経歴もありましたので、様々なジャンルに精通しているのですね(*^^*)


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近藤富枝の死因について

近藤富枝さんの死因を紹介します。

天国に逝かれたのは、2016年7月でした。

 

死因は老衰だと言われています。

93歳まで長生きしていますから、老衰と言われれば納得の年齢ではありますね。

 

近藤富枝さんは、特に大きな病気があったとも噂されてはおらず、90歳まで執筆を続けていたようですから本当にお元気だったのでしょう^^

大正、昭和、平成と3つの時代を生きたのはすごいことだと思います。

 

子供は、娘も息子もいると言われており、孫やひ孫までいたかもしれません。

家族に見守られながら、昔でいう「大往生」といった最後だったのでしょう。

近藤富枝の生い立ちについて

近藤富枝さんの生い立ちを紹介します。

東京日本橋の生まれです。

 

実家は袋物問屋と言って、今でいうカバンやポーチの販売をしていたのだとか。

幼少期の生い立ち情報は、店先で手伝いなどしていたと言われています。

 

実家は、近藤富枝さんが7歳の時に破産してしまたそうで、現在は残っていません。

 

破産に伴い一家離散となった近藤富枝は、ひとりで父方の祖父の家に引き取られたのだとか><

この祖父の家が水島家だったので、wikiプロフ情報で水島冨枝という名字が旧姓となっています。

 

水島家は田端にあり、比較的裕福な家だったと言われています。

近藤富枝さんの生い立ちは、東洋高等女学校から東京女子大学に進学し、資金的に余裕があったほか本人も優秀だったことが分かります。

 

当時は女性が大学まで進学するのは珍しかったと思うので、すでにこの頃から仕事にまい進する女性となるきっかけがあったようにも感じますね^^

 

大学では国語専攻だった近藤富枝は、在学中に演劇にハマったのだとか^^

大学卒業前に、今の文学座の前身となる「芸術小劇場」の研究生になっています。

 

見るだけでなく、演技する側に魅力を感じたのですね^^

その後は大学を繰り上げで卒業し、文部省教学局に勤務している経歴があります。

 

退職理由は不明ですが、文部省を1年で辞めて翌年にはNHKのアナウンサーとなっています。

しかし、勤務して1年で第二次世界大戦が終戦しました。

 

近藤富枝さんは、戦後の混乱期に失業してしまいます><

年齢は、23歳の時で仕事が無いまま翌年には元軍人の近藤新治(のちの土門周平)と結婚し、主婦として20年ほど暮らしました。

 

子供は二人いて、それぞれに活躍しています。

近藤富枝さんが、作家の道に入ったのは、40代になってからでした。

 

週刊朝日のルポに入選したのをきっかけに、各紙に多くの入選があったのだとか。

もともと大学時代国語専攻ではあった近藤富枝ですが、やはり文才があったのですね^^

 

その後は、主婦の友社の専属ルポライターとして仕事をしています。

得意分野は明治・大正期の文学者についてまとめたルポでした。

 

生い立ち情報で、着物や布に関するエッセイが増えていったそうです。

後に作家として「宵待草殺人事件」や「鹿鳴館殺人事件」などのミステリ小説も執筆しています。

 

武蔵野女子大学で講義をしていた経歴もありました。

近藤富枝さんは、1981年にNHK連続テレビ小説「本日も晴天なり」で、原日出子さんが務めたヒロインのモデルとなっています。

近藤富枝の最後について!

近藤富枝さんの最後(生涯)を紹介します。

 

ドラマの「本日は晴天なり」は放送していたのはかなり昔です。

近藤富枝さんの最期と、完全にリンクしているとは言えませんが、生い立ちから生涯までの内容は、ほぼほぼ網羅しているでしょうね。

 

近藤富枝さんは、執筆を続けながらも帰らぬ人になる直前は、風邪をこじらせていたそうで咳が1カ月以上続いていたのだとか><

 

胸骨の圧迫骨折をしたと言いますから、咳によって胸に相当負担をかけていたのでしょう。

もともと、腰椎も圧迫骨折をしていたようで、晩年は自立歩行はできない状態だったと言われています。

 

近藤富枝さんの死因に繋がっているかもしれませんが、天国に旅立つ1~2ヶ月前まで講義をしていたというのですごい方ですよね

 

最期は本人の希望で自宅看護だったそうですが、血圧の悪化などを理由に夜に緊急入院となりその後に帰らぬ人になりました><

 

生い立ちから考えると、ちょっと働きすぎなのでは?と思うくらい、本当に最後まで仕事をしていたのですね。

 

近藤富枝さんは、人生を終える直前に講義をベッドで寝たまま生中継したそうですから、仕事に手を抜かない姿勢には脱帽です。

近藤富枝の評判について

近藤富枝さんの評判を紹介します。

ご存命中は、あまり若者に知られていなかったこともあり、あまり意見が出ていませんでした。

 

馬込文士村の研究や王朝継ぎ紙などの研究の分野ではかなり知られた人物で、熱心な仕事ぶりで知られていたのだとか

 

近藤富枝さんは、元アナウンサーで作家という異色の経歴があるので、昔から知っている人は少なからずいることは確かでしょう。

 

姪にあたり、主に編集の仕事をしている森まゆみさんは、近藤富枝さんのことを非常に尊敬していたのだとか^^

 

文章を書く基本を教わったりしたと言いますので、仕事の基礎になる部分は伯母に学んだのですね。

 

「子供は小指1本で育てなさい。そして後の9本で仕事するのよ」と話していたそうですので、本当に仕事熱心だったことが分かります。

 

 

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近藤富枝のまとめ

近藤富枝さんのwikiプロフ情報で、本名は近藤富枝(旧姓:水島冨枝)、誕生日は1922年8月19日、国籍は日本でした。

 

死因は、93歳の年齢で老衰でした。

 

主婦の傍らルポライターとして働き、その後は作家として自立し晩年まで講義や執筆、テレビ出演を精力的に続けていた経歴があります。

 

戦争や災害を経験し、貧しい時代も知っている中で自分の指先だけでここまでの略歴を築き上げたのは本当にすごいことだと思います。

 

戦争については長年自身の体験を話すなど、証言者としても活躍しました。

 

本当に自分にできることは何でもやるといったスタイルで、興味のあるものはとことん研究するタイプだったようですね。

 

あまり若者世代には知られた人物でないのが残念ですが、今後もドラマと共に語り継がれてほしい人物だと感じました。

 

 

近藤富枝のwikiプロフや経歴!死因について!生い立ち~最後が凄い?

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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