近藤富枝さんは、元NHKアナウンサーで作家です(*^^*)
顔画像(写真)や、結婚した旦那(夫)や子供情報などを知りたい人は多いのではないでしょうか^^
NHK連続ドラマ「本日も晴天なり」のモデルになった女性で、戦前・戦中を仕事と共に生きた人物です。
朝ドラの放送はかなり前でしたが、当時は高視聴率で評判も良かったです。
なかなか過酷な時代を過ごしており、ドラマチックな人生を送った素敵な女性です。
93歳まで長生きし、家族や親せきも多く、みんな仲が良かったと言われています。
今回は、近藤富枝さんの顔画像(写真)や、結婚した旦那(夫)や子供・兄弟情報と家族構成などについて見ていきましょう。
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目次
近藤富枝の顔画像(写真)!
#谷崎潤一郎をめぐる人々と着物 近藤富枝『文豪のきもの』谷崎の項を読むと、江戸っ子谷崎は関西に住んで趣味が変わり「大柄な花や葉の関西風の着物以外は着てはならない」と松子夫人に言っていたとか。花文様を幾重にも重ねたような「細雪」の世界観を醸成するために、必要なことだったのでしょう pic.twitter.com/P87jwNKY4j
— 弥生美術館・竹久夢二美術館 (@yayoi_yumeji) January 19, 2022
近藤富枝さんの、現在の顔画像(写真)を紹介します。
戦争体験のインタビューや源氏物語に関する講義を行っており、若い頃から晩年まで写真や映像が残っています。
晩年の近藤富枝さんは真っ白な髪をやや紫に染めているようで、顔画像(写真)では髪の影がラベンダー色に写っているものが多いです(*^^*)
肌も白く、肌も90代とは思えないくらいしわも少なくおキレイですよね^^
眼鏡をかけて口角をきゅっと上げた笑顔の写真が印象的で、優しいまなざしが理想のおばあちゃん像です。
いつも和装だからか背筋もシャンとしており、淡い色合いの着物がとてもお似合いなのもまた素敵ですね。
近藤富枝の顔画像(写真)を若い頃と比較!
近藤富枝さんの顔画像(写真)を、現在と若い頃と比較しました。
昔の姿は、やはり第二次世界を挟んでいるからか、あまりありません。
若い頃の顔画像(写真)は、NHK入局の頃、20代の姿のものはありますが正直サイズが小さいのですが、髪の毛を結んでいるのか髪が短いというのがわかります。
近藤富枝さんは戦後に専業主婦として家庭に入っていた時期が40年くらいあるので、その間の写真はどうしても少ないのでしょう。
80代の頃の顔画像(写真)がありますが、当時は髪も茶色っぽく、染めていたのではないかと思いますがやはり肩にかかるくらいの短めの髪型です。
最近は白髪を染めずに美しいグレイヘアを活かした女性も多いので、途中から染めなくなったのかもしれませんね(*^^*)
晩年の写真にあるようなしなやかなボブのグレイヘアがとてもお似合いですよね。
ボブくらいの長さって似合うに合わないが結構はっきり出るので、似合う女性はとてもすてきだと思います^^
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近藤富枝の結婚した旦那(夫)は誰?
近藤富枝さんの結婚した旦那(夫)は、誰なのか紹介します。
終戦直後の1946年に夫婦になっていました(*^^*)
結婚前の旧姓は水島で、相手は元軍人の近藤新治という男性でした。
終戦後にNHKを退職したころで、夫婦になってからは専業主婦として家庭に入っています。
結婚した旦那(夫)は防衛庁戦史室という部署に勤めており転勤が多かったそうで、近藤富枝さんは転勤についていきながらの子育てだったのだとか><
終戦直後は軍人には仕事がなく、農業や毛糸屋をしながら暮らしたと言われています。
後に警察予備隊や陸上自衛隊に勤務していたという夫は、最終的に防衛省の戦史室で戦史の編纂に携わりました。
これがきっかれで軍事指導史や軍事史の研究を生業とし、土門周平という筆名で有名になります。
ご夫婦そろって作家で研究家なのですね。
近藤富枝さんの亭主の土門周平さんは2017年にこの世を去りました。
近藤富枝の結婚観について
近藤富枝さんの結婚観を紹介します。
土門周平との出会いについては詳細が分かりませんが、田端に暮らしていた頃に家作の住人として交流があったのだとか^^
近藤富枝さんの実家と縁があった男性だったのでしょうね。
顔なじみの男性だから結婚を決められたのかもしれません。
夫婦になって、家庭に入ることに抵抗があったかは分かりませんが、姪っ子に「子供は小指一本で育てなさい。後の9本で仕事するのよ」と話しています。
近藤富枝さんは、本来はやはり働きたかったのでしょう><
時代が戦後でなければ、もしかしたらそのままNHKのアナウンサーとしてキャリアを積むことを選び、結婚しなかった可能性があります。
時代的にはまだ女性は結婚したら専業主婦というのが基本でしょうし、戦後であまり仕事もない時代に女性が働き口を探すのは大変だったのでしょう。
ですので、子供の手がかからなくなったら何か仕事を探そう!!と考えて主婦に専念する選択もアリだったのかなと思います。
近藤富枝の兄弟情報
近藤富枝さんの兄弟情報を紹介します。
若い頃の7歳の頃に、父親の家業の破産で一家離散となった経験があるのだとか。
年の差は分からないですが、姉妹がいると言われています。
近藤富枝さんの姪にあたる女性が近藤富枝の事を「伯母」と表記するところを見ると妹がいるのですね^^
一緒に育つことはできなかった姉妹ですが、交流はあったようで姪の子とも可愛がっていたのだとか(*^^*)
兄弟の中で、近藤富枝さんと一緒に、顔画像(写真)は撮ったりしてもらったりはしているでしょうね。
妹は歯医者になったようで、姪によると合理的な女性だと言われています。
男兄弟に関しては、弟がいるのだとか。
近藤富枝さんに他に男兄弟がいる情報はないですが、もしいたとしても戦時下ですので徴兵されてしまい離れ離れに生活することを余儀なくされていて、なかなか会えなかったのではないでしょうか><
弟は、若い頃に日本で初期にAppleの販売を行ったESD社の社長になっているので、戦争は無事に生き延びたのですね。
近藤富枝の家族構成
近藤富枝さんの家族構成を紹介します。
母親の情報はありませんでしたが、生家が袋物問屋だったそうですから共働きだったのでしょう。
破産により引き取られたのは、父方の祖父母の家でした。
祖父の水島辨治郎は、日本橋の金物問屋・増見屋を継いでいたのだとか。
近藤富枝さんの子供時代は、ずっと商いと縁のある生活だったのですね^^
仕事の手伝いなども、一生懸命に頑張ってしていたのでしょう。
妹の引き取り先は、母方だと言われています。
【近藤富枝の家族構成】
- 水島家
- 祖父:水島辨治郎(増見屋9代目)
- 祖母:情報なし
- 父親:元袋物問屋主人
- 母親:情報なし
- 本人:水島富枝
- 妹:氏名不明(歯医者の経歴)
- 弟:水島敏雄(ESD社社長の経歴)
近藤新治と結婚後は、子供を二人育てあげた近藤富枝さん。
長男の龍太郎さんは、Appleの日本での販売に初期から携わり、「アップル操縦法入門」という本を書いたことでも知られています。
叔父にあたる水島敏雄と共に、時代の最先端を走っていたのですね(*^^*)
長女の陽子さんは、講談社の編集者の経歴がありました。
後に、近藤富枝さんが主宰していた「王朝継ぎ紙」という和紙工芸の研究会に参加して講師を務めるなど、母親の後を継いでいます。
妹の子で、姪の森まゆみさんは出版や編集に携わったのちに作家となっています。
もう一人の姪で堀井恵子さんは、近藤富枝さんが武蔵野大学で行っていた言語研究を引き継ぐなど家族そろってお母さんの仕事を継いでいます。
女性陣は本に関する仕事が多いのですね^^
近藤富枝さんが、帰らぬ人になる直前は、家族や孫・ひ孫まで病院に駆け付けたと言われているので、親戚も多く交流も多かったのでしょう。
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近藤富枝のまとめ
近藤富枝さんの顔画像(写真)を見ると、メガネをかけていたり着物姿などのものがたくさんあります。
髪の毛を染めるのが好きだったみたいで、綺麗な髪色で優しい印象を受けました^^
結婚した夫(旦那)は、近藤新治(土門周平)さんです。
戦前の女性教育では珍しく、大学まで修めている秀才の近藤富枝さん。
様々な仕事に就き、戦争も経験しつつ好きなことを仕事にしていて、この世を去る直前まで仕事をしているので驚きですよね。
好きなことを諦めず、子育てが終わってから第二の人生で大活躍した女性として今後も知られてほしい女性です。
産まれていたのがもう少し後だったら、キャリアウーマンの先駆け的存在としてまた違った注目を集めていたかもしれないと思わせる素敵な女性でした。
家族や親せきとのつながりも濃く、素敵な関係が感じられますね。
近藤富枝の顔画像(写真)!結婚した旦那(夫)や子供は誰?兄弟・家族構成
についてまとめてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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